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三橋 克仁(みはし かつひと)
2012年、㈱manabo創業、オンデマンド個別指導アプリ「manabo」を自ら開発、ベネッセ/Z会など国内大手各社との業務資本提携を主導。
十数万人の生徒と講師を繋ぐサービスに拡大し、2018年に駿台グループに売却。
2019年、AgeTech領域に着目。お客様の自分らしさと安心を実現するために、信託DXで家族の資産に関わる課題を解決する㈱ファミトラを創業、「家族信託」の普及に邁進。現在のお客様の契約資産は約250億円超、累計調達額は約24億円。
Forbes 30 Under 30 2016 Asia選出などメディア出演多数。
東京大学大学院工学系修士課程修了。
職人気質な画家(油絵・風景画)の父親をもつ。
父親は25歳から15年ほどパリで画家として暮らしていたが、子育ては日本でという両親(共に日本人)の意向のもと、本人は東京都東久留米市という田舎(同級生の半分くらいはヤンキー)で育つ。
しかし、日本で画家として生計をたてることは困難であり、画廊に売上の半分近くをもっていかれる事が耐えられず、父親は画家をやめてしまう。
食い扶持稼ぎのために空調設備を修理する会社に務めたがその会社もすぐに潰れ、同様の自営業をすることになるが「今日は雨が降ってるから仕事にいかない」という感じで、極貧とまではいかないが頻繁に電気や水道が止まるような環境だった。
小学生の頃から父親の仕事の手伝いで機械や工具にふれ、工学に関心を持つようになった。お金の問題が大きく影響し、後に両親は離婚している。結果、本人は物心ついたときから「お金のしがらみから解放される」ことが大きな生きるモチベーションになっている。
(筑波に宇宙センターがあるので)名前が宇宙にゆかりがあるということで高校は「筑波」大学附属高校を志望した(いわゆる筑駒は男子校で筑附は共学なので迷わず後者を選んだ)。
とにかく気合いで、カフェイン錠剤をコーヒーで流し込み、寝ずに勉強するスタイルで
「(健康を害するので)勉強をやめなさい」
という母の制止を「うるせぇババァ」と振り切り勉強していた。
しかし、3時間睡眠を続けていたところ14日目の昼間に突然失神し倒れたことから限界を感じ、実績のある塾に通いたいと考えを改めた。
自転車圏内の最もコスパの良い塾を探し両親に懇願するも、当然お金がないと即却下される。
そこで頭にきてガードレールを蹴って歩いていた所、警察に補導されてしまうが、事情を知った当時の中学校の校長が父親の絵を購入。
そのお金を軍資金にして塾に通い、水を得た魚のように勉学に励んだ。ちなみに何の因果か、このとき一緒に塾に通った小中の同級生の菊川(後に弁護士となる)と2社目を創業することになる。
高校に入学した当時、宇宙飛行士の登竜門といえる東大理一に毎年1,000名が合格すると知り、「それならおれは余裕で受かる」と天狗になってしまい高校時代は部活(野球)とアルバイト(高校時代から学費は自分で払うなど経済的に独立していた)に明け暮れた。
結果、見事に足元をすくわれ僅差で一浪する。しかし浪人時代に予備校(代ゼミ)の講師に感銘を受け、後の1社目の起業のテーマ(教育xIT)に繋がることになる。
東大では第二外国語としてロシア語を選択し宇宙関連のサークルにまで入ったが、当時2006年はホリエモン率いるライブドアがフィーバーしていた時代。もともと金銭的な関心もあり株式投資サークルにも入った所、そちらの人のほうが馬が合い、株式投資にのめり込んだ。
同時に、同世代で既に学生ながらITベンチャーを起業している人を知り(Willgateの小島社長)、
大きく影響されていった。
まだUBSとUSBの違いもよくわかっていなかったが、プログラミングにチャレンジする。
株式投資サークルでは数少ない理系のメンバーとして、過去30年分のデータをみて下がった時に買いシグナルが出る株の買い時を判定するシステムを作り、先輩から借りた元手の100万円を順調に増やしていったが、リーマンショック(100年来の下げ)をモロに受け、利益はおろか元本ごと雲散霧消し、株式投資からは足を洗った。
何者かでありたいという渇望と何者でもない自分との間の葛藤に苛まれながら、大学院に入学したその日に休学し、当時インターンしていたITベンチャーで、月20万円の安月給でITx教育分野の事業立ち上げにフルコミットすることを決めた。しかし自身のプロジェクトマネージャーとしての力が及ばず、その事業も鳴かず飛ばずでリリースから半年で間もなく閉じる事がきまった。
当時、自身でゼロから起業をしたい欲求が高まりつつも、全てを捨てる勇気まではなく、インターンを辞めたあとは安牌を選んで大学院にいったん復学し、あまり興味もない研究をすることに。自分の市場価値を知るという大義名分でいったん就職活動もしつつ、将来のためにいったん見做し法人を興して経験を積んでみる、という研究・就活・起業のどっちつかずの生活が始まった。
とりあえず見做し法人の名刺を用意して、起業とは名ばかりで塾のホームページ制作の受託・請負を始めてみたものの、とにかくお金が無かったので、軍資金を得るためにビジコン(ビジネスプランコンテスト)に参加し、入賞できたときの賞金でなんとか食いつないでいった。また、入賞するとシリコンバレーツアーに招待されるというのが2011年当時流行っており、1年で3回シリコンバレーを訪れた。
シリコンバレーの空はドラえもんくらい青く、その気候の影響かとりあえずやってみてダメだったらまたやったらいいじゃん?くらいのノリで起業している現地のスタンフォード生を見て、やはりゼロから自分でやってみたいという気持ちが湧き上がった。このとき一緒にシリコンバレーを周り、学生貧乏旅行を共にしたビジコンのメンバーが、1社目の共同創業者の廣田である。また、もう一人、小中時代からの親友の川上にも同時期に声をかけたところ、「お前がやるなら、おれもやる」と自分が腹をくくるよりも先に、当時勤めていた会社を辞めてきてくれた。
就活の方では、大学のネームバリューもありBCG/ADLといった名門コンサル会社から特例でMBA費用まで出してくれるという有り難いオファーをいただいており余計に迷ったものの、廣田・川上の2人からの「お前はどうするんだ」という言葉を毎日反芻し3ヶ月近く悩みに悩んだ挙句、ついに、情熱が恐怖に打ち克った。
腹を決めて内定を丁重にお断りし、売上ゼロ・知名度ゼロ・プロダクト未完成・当然ユーザはゼロ・貯金ゼロ(借金は借りれるだけ借りており2,000万円くらいあった)・ただ創業メンバーとやる気だけはあるぞという状態で、完全に起業の道一本に絞ることになる。
完全に内定を断った後、1週間ほど、これから生きていけなくなるかもしれないという恐怖で寝付けなかった事を覚えている。
事業のネタは当時やっていた予備校講師のアルバイトの原体験から着想した。まだガラケーの時代に数学の質問をメールでされたり、物理の質問を電話でされたりして、説明してあげたい気持ちはやまやまだがメールや電話のみでは限界があると感じ、オンデマンドで音声やホワイトボード等で個別指導を受けられるスマホアプリ「manabo」の着想に至り、自ら初期のプロトタイプをエンジニアとして開発した。スマホへのデバイスシフトのタイミングを捉えた斬新なサービスと評され、当時EdTech(Education x Technology)のトレンドが日本にやってきたこともあいまって、滑り出しは順調かに思われたが、創業直後からexitまで、およそ考えられるあらゆる困難にぶち当たりながらトロッコのように自分ではほとんどコントロールができない形で会社は進んでいった。
「進研ゼミ」や「こどもチャレンジ」で有名なベネッセから声がかかり、共同サービス「リアルタイム家庭教師」のトライアルに漕ぎ着けたが、社内チェックに必要だからサービスの紹介ページを(先方社内の古い端末でも表示が崩れず見られるように)IE6に対応してくれ、という不毛な指示があり(当時最新はIE10)、他にエンジニアがいないので自ら対応。あまりのストレスに午前3時にコンビニでわざわざ故意に一番カロリーの高い弁当を選ぶなど暴食をしていた結果、1週間で2着しかないスーツのパンツを2本とも破る羽目になる。
そうこうして迎えたサービスイン初日、サーバーエラーでサービスが実質休止。急遽オンデマンド「電話」指導に切り替えてその場を凌いだが、初日でお祝いの差し入れを持ってきてくれた担当者に、無言で真後ろに立たれ睨まれながら6時間ほど修正のコードを書き続けるという苦行を経験する。
その後も事あるごとに「見積もりが甘ぇんだよ!!」などと罵倒され謝罪を繰り返しながらも、国内有数の教育系企業のクオリティスタンダードに届くよう、サービスを磨き込んでいった。
当時ベネッセのデジタルを強化しようという流れで、出資をいただけることになり、「プロダクトは任せてください、マーケティングはお任せしますね。」と握って出資を受け入れたが、その直後に個人情報流出事件が発生。ベネッセは全社的にマーケティングを自粛し、サービスへの流入はきれいにゼロになってしまった。
このままでは会社が潰れると直感し、ベネッセとの共同サービスではなく自社サービスとして社名を冠したプロダクト「manabo」を急遽リリースしたが、反応は悲惨だった。
ベネッセのユーザー(親)は「ベネッセから新しいの出たみたいだから、やっておきなさい」という感じで子供に盲目的にやらせるレベルなのに対して、一般のユーザーは子供が無料体験をして本格的に使いたい、となっても「manabo?聞いたことないわね、やめときなさい!」という感じの反応で、獲得コストが10倍ほどかかり、ブランドの影響力を身にしみて感じることとなる。
また、採用の方ではとにかく「書けるエンジニア」をひたすらスキル重視で採用し続けていった結果、社員の半分程度が「清原かベジータ」のような性格のメンバーで構成された。「普通のひとが書けるコードは、書きたくない」と主張し、真横にいるディレクターからの依頼をまる無視するエンジニア。この時期、出資金も底をつきかけており、サービスをtoCからマネタイズしやすいtoBに一気に方針転換してユーザーではなく教育系大企業の方を向いて仕事をしなくてはならなくなったことも相まって、見事に組織は瓦解。30人近くいたメンバーは、どんどん抜けていき、資金もなく引き止めることもできず、このままいくと会社に誰もいなくなってしまうんじゃないか…という恐怖の日々が続き、最終的にはコアメンバー5人にまで減少。抜けていった中には、創業メンバーも含まれていた。
ふと気を抜くと、「このまま会社も潰れて…、俺も死のうかなぁ。」などと考えてしまう自分がいたので、恐怖を感じる暇もないようにわざと忙しくして、会社と家の間にあったラーメン屋に、ラストオーダーのAM2:40に駆け込む…という日々が数ヶ月続いた。
本当にこのままでは会社が潰れてしまうと考えた時、背に腹は代えられないと、ベネッセからすると最大の競合であるZ会(増進会出版社)との提携に本腰を入れた。
状況を理解してくれたZ会と、ほどなく業務資本提携をすることに。この件をベネッセに伝えると、当然すぐに呼び出され、「三橋さんへの信頼は、地に堕ちました」と完全に縁を切られてしまう。
しかし、苦労して仕切り直したZ会との提携もそこまでうまくいかなかった。業界の特性的に基本的に年に一度しかPDCAサイクルを回すことができず、気合が空回りする日々が続いた。プライベートにも悪影響が及び、将来きっと結婚するんだろうなと考えていた彼女にフラれてしまう…。
他にも様々な背景があったものの、結局これがトリガーになり、本格的にM&Aを検討し始めた。腹を決めてからは、もともと幾つかの会社から声がかかっていたこともあり、半年ほどで決着がついた。最終的には通信教育事業者ではなく、リアル施設とのサービスの相性の良さから駿台予備校を持つ駿台グループに会社を売却することになる。
周りの起業家と話をしたなかで、manabo創業からexitまでというのは、DeNA南場社長の不格好経営をそのままなぞるような、界隈でも屈指の波瀾万丈なすったもんだのストーリーを有しているようだとわかった。この1社目の様々な経験は、言わずもがな、2社目の経営に最大限活かされている。
創業当初IPOを目指していた中で、途中でM&Aexitへ方針転換することへの葛藤があった。河合塾の河合理事のような、生まれたときからその道で生きることが半ば運命づけられているような出自の方と日常的に相対して感じたのは、自分は教育者なのかそれとも起業家なのか?という究極的な問いだった。目を閉じ、胸に手を当てて無心になって考えると、自分は完全に後者の起業家であることを否定できなかった。このままの延長で小さくIPOすることはできるのかもしれないが、それは自分の作りたい未来ではないと感じ、M&Aで区切りをつけることに決めた。
manaboをM&Aしたあと、つつましく暮らせば働かなくとも生きていけるようにはなったが、各地を放浪していて「では、自分は何のために生きるのか」をよく考えるようになった。
最終的に、やはり、人類が一歩前に進むような大きいことに携わりたい、そこに人生を捧げたいと考えるようになった。当時流行っていた「ホモ・デウス」という本の受け売りで、21世紀の人類の命題が定義されていた。人類は20世紀の命題として「戦争・飢餓・疾病」をある程度克服してきた、
では21世紀の命題は何か?「AI・HA(人体拡張)・不老不死」だと。
いまから101社目のAIの会社を興してもあまりおもしろくない。不老不死は2050年くらいの世界線だろう。では、HA(人体拡張)を深堀りしよう、とそう考えた。
HAの一丁目一番地は、BCI(Brain Computer Interface)、つまり脳とコンピューターの接続だ。
Think to Textやテレパシー、映画Matrixのような体術の脳へのinstall、こういったことが実現できれば人類は一歩前に進むはず。BCIを商用化し普及させる、これを自分の次なる人生のテーマにしよう。そう決めた。
中国に、BCI商用化を試みるスタートアップがあると聞きつけ、あらゆるコネを使って実際に訪問し、チャイ語は喋れないので下手くそな英語でがんばってその技術の先端を体験させてもらった。
しかし、結論としてはまだ、自分のイメージする世界観の実現には、技術の進歩をあと10年は待たねばならない、ということが分かった。波(β波)の解析をするには頭蓋骨が遮蔽物として大きすぎるので、頭蓋骨に穴を開けて脳に剣山をさすような事をしないと、うまくデータが取得できないのだ。
では、発想を変えて、10年後にそのBCIの黎明期がくるというなら、その時にどうなっていれば「勝てる」のか?充分な軍資金や技術があることは前提で、何が差別化要因なのか。ここも、家畜・ペット・障害者・健常者など色々なパターンを考えたが、結論として、「シニア」の方の認知/想起をとっている/信頼を得られている状態が最も強いと考えた。ペースメーカーと同じような発想で、やむを得ず手術をしてでも孫とコミュニケーションをとりたい、と考える人がいてもおかしくないと。
そうして、地の利のある、そして世界でも類を見ない高齢先進国である日本に戻り、「シニアxIT」の領域で事業を立ち上げることを決めた。この領域はどうやら、「AgeTech(エイジテック)」などと呼ばれているらしい。
ビジネスモデルなど何も決まっていない中、「次はAgeTechやるぞ〜!」と旗を立てた。東西南北でどの方角に進むレベルのことしか決まっていないのに、2度目の起業ということもあり、俺も一緒にやりたい!といってくれる創業メンバーが集まってくれた。
ちなみに、中には「丁稚奉公でいいので(お金はいらないので)一緒に働かせてください!」という気合の入った後輩もいたので快く迎え入れたが、2日後には「やっぱり少しお金欲しいっす」といわれ採用の難しさを体感した。
シニアの課題といってもめちゃくちゃ広い。当初、「オレオレ詐欺撲滅システム」とか「脳年齢推定エンジン」とか「脳ドッグ版のラクスル」とか「介護士版Uber」とか色々考えたが、調べれば調べるほど認知症に関する負が圧倒的にデカイ、ということが分かった。
ただ、自分は医者出身ではないので治療や検査の方向ではスジが悪い…そう考えていたところ、「金融認知症対策」なる概念があることを知った。認知症になると資産凍結が起こるなど金銭的にとても困ったことになるらしいと。なにやら2030年には認知症患者の金融資産が200兆円もの規模となり、日本全体の1割に達するらしい。これだけの規模の資産が凍結されてしまう可能性があるなんて…、ちょっと考えただけでも大惨事だ。
前回テーマに選んだEdTechは、社会的意義と自身の原体験がバッチリあったものの、いわゆる市場規模が(特に受験に限ると)やや小さく、少子化の影響をモロに受けて将来性が見込めなかった。
それとは対照的にAgeTechはおそらく国内でみたら唯一と言えるかもしれないほど、非常に有望な市場だ。社会的意義があることはもちろん、既に超巨大、かつ物凄い勢いで伸びて(しまって)いる市場で、国内で成功したらそのビジネスモデルで海外展開が狙えるかもしれない。かくして、認知症関連のビジネスを作り、国内TOPのAgeTechの先駆けとなるという目標が決まった。
認知症になると、法的には意思能力がないものとみなされ、その人が行った法律行為が後に無効と主張されうる。つまり、実質的にあらゆる契約ができなくなってしまう。
本人名義の不動産は売却不可となり、売却して捻出する想定だった介護費等が出せず、子世代に負担がかかったり、介護難民になる事例が続出している。
また、銀行は、認知症の予兆ありと判断すると、オレオレ詐欺等の予防のためいわゆる口座凍結処理をかける。
このような、いわゆる認知症による資産凍結状態になると「成年後見人」を利用するしか打つ手がなくなる。しかしこの成年後見人が曲者で、費用と財産管理の面で深刻な問題がある。自分のお金を使うのに他人からの許可がいるような状態で、当人や家族の意見が通らないことが多かったり、毎月2〜6万円の費用がかかったり、一度つけると本人が亡くなるまで二度と解除できなかったり、家族が選任されることは殆どなくどんな人が後見人に選ばれるか分からず、選任された士業が財産を着服してしまう事件も多くある…。
この制度の問題点は多くの本で指摘されていたり、映画のテーマになっていたりするのだが、この辺りは法曹界の既得権益となっているフシもあり、使い勝手の悪いままなかなか改善されていかない状況が続いていた。
そんな中、この成年後見制度の問題点を軒並み解消できる可能性のある仕組みとして、にわかに脚光を浴びている制度の存在に気が付いた。「家族信託」だ。
家族信託とは、高齢のご両親が自分の子供など信頼できる家族に、不動産・現預金・株などの資産の管理を託す仕組みだ。認知症になる前に、予め家族信託をしておけば、もしも本人が認知症になって通常なら資産凍結がおこるケースでも、託された家族が何の問題もなく家を貸し出したり、売却したり、預金を引き出したりできる。融通の全くきかない後見制度と違って、予め親子間で合意していれば、資産運用をしたり相続時の節税対策をしたりできる。信託銀行に信託する場合(商事信託)と異なり、実家など居住用の不動産の管理もできるし、何より、自分の子供に預ける形なのでほとんど無駄なコストがかからない。
このように、家族信託は合理的でデメリットの殆どない素晴らしい仕組みだ。しかし、全然普及していない。どうして、何故普及していないのか??と調べていくと既存の様々な慣習やしがらみが原因であることがわかってきた。
家族信託の守備範囲は極めて広い。遺言や事業承継にも使うことができ、親子間で合意がとれればかなり自由に柔軟に財産管理の方法を決めることができる。そしてこの特徴が、逆に仇となっていた。
生真面目な家族信託の専門家に依頼すると、法務・税務・登記の実務・不動産・保険さらには医療といった様々な観点から、その家族のためにベストな形を、とゼロから契約書を作り込みがちだ。何度も何度も家族会議を重ね、必要に応じて外部の専門家の意見も反映させ、家族ごとに手間ひまかけて契約書を作り込む。結果、契約書ができるまでに、相談開始から半年ほどの期間と、100万円以上のコストがかかる。これがデフォルトだった。そう、一般的な感覚からして、シンプルに重たいのだ。
家族信託をもっとずっと手軽に…安く、簡単に、早く組成できるようになれば、今までとは桁違いのスピードで普及させられるはずだ。そう直感した自分は、一般的なマスの感覚に合わせて、ビジネスモデルをなんとか工夫して辻褄を合わせられないか検討した。
熟考の末、一般的には100万円ほどかかってくる初期費用(コンサルティング費用)を5万円〜(※)と格安にし、その代わりに信託監督人という役割で継続的なチェック役をファミトラが担うことで、組成後も継続費用を月額980円〜(※)チャージできる形とした。この形であれば、実家を売却するなど、信託された財産をいざ動かすとなったタイミングでファミトラにまず連絡が入るため、その後の派生的なビジネスへの広がりも出るなど、ポテンシャルも高い。
※金額については組成内容や組成までの期間、お客様のご年齢によって異なりますので詳しくはコンサルタントへお問い合わせください。
ただ、これだけでは既存の業者に真似された時に差がつかない。焼畑農業になってしまう。他の士業や銀行が、どうやっても真似のできない差別化要因を作るにはどうしたらいいか…と考えたとき、「ベテラン家族信託コンサルタントの脳みそを、ITで再現する」ことを思いついた。
自由度の高い家族信託の契約書を、顧客それぞれに最適化して、税務・法務・登記の実務・不動産・保険・医療と様々な専門的な視点でチェックしてまとめるというのは、端的にいってめちゃくちゃ難しい芸当だ。だからこそ、それができるコンサルタントの採用も育成も至難の業であり、経営的にはコストが非常にかかってくる。
そこで、そこまでの知識や経験をもたないコンサルタントや究極的には一般の顧客が、手順に沿って情報を入力していくだけで、様々な観点でのチェックを経て、安心して家族信託が組成できるようなシステムを作り上げることができれば…、確実に勝てるはずだ、とそう考えた。
一つの分野だけでも相当奥が深いというのに、それらを複数またいで、整合性をもって、専門家でないひとにもわかりやすい形で情報を整理するというのは、めちゃくちゃ難しいものの、技術的には突飛なものではなく根気強くやればできるという肌感覚があった。
そもそも冷静に考えてみると、法務や税務などの専門領域とテクノロジーを横断して理解することができる人材が稀有だからそういった仕組みが存在していなかっただけで、インプットをもとに特定のルールを適用してアウトプットを出すというのは、コンピューターの専売特許だったはずだ。
間違いなくとても難しいが、自分ならできるはずだ。
テクノロジーの力を存分に活かして、この素晴らしい家族信託という仕組みを、万人が扱えるようにコモディティ化しよう。そう考えた。
そして、中学生の頃、塾で隣の机で勉強していた菊川が弁護士になっていたので15年ぶりくらいに連絡をとり事業について相談してみたところ、奇跡的にその専門が「信託法」であることがわかった。
「信託法」は日本では司法試験の必修科目ではないらしく、この領域に専門性のある弁護士はごく少数なのだ。
これが決め手になり、幾つかの事業を並行して検討していたが、かくして「家族信託」一本でいくことが決まった。完全に門外漢である自分だからこそできる着想で、Techを最大限に活かして、家族信託という素晴らしい仕組みを普及させたい、そのように考えるに至った。
家を買ったら火災保険に入るように、
車を買ったら任意保険に入るように、
親が65過ぎたら、家族信託をするのが当たり前になる。
そんな風に「家族信託を、あたりまえに」することをビジョンにして、
家族信託の代名詞的なサービスになるようfamily trustの短縮形で「ファミトラ」を創業した。
シリアルアントレプレナーとして色々下駄を履かせてもらえる事も多く、「強くてニューゲーム」と揶揄されるときもあるが、表向きには順風満帆にみせつつ、裏では白鳥のように足をバタバタ、毎日毎日すったもんだの経営をしている。
誰も通ったことのない道なき道を、愚直にまた、進んでいくのだ。
よちよち歩きのスタートアップ。第2のストーリーはまだ、始まったばかりだ。
2014年当時経営していた会社での、起業までの経緯詳細を語ったインタビュー記事
「マトリックス」シリーズ、
「ミッション・インポッシブル」シリーズ
野球・ゴルフ・ワイン
memento mori (ラテン語で「死を想え」)
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